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関ヶ原の敗将 宇喜多秀家潜伏跡

 関ヶ原の戦いで、西軍の中でもっとも果敢に戦った武将は五大老の一人でもあった宇喜多秀家と言われています。 宇喜多秀家は最後は八丈島に流されその地で生涯を閉じていますが、関ヶ原の戦いで負けた後は、島津氏に匿われていたと言われています。

  写真は現在の鹿児島県垂水市にある宇喜多秀家の潜居跡と伝えられているところです。 この地の豪族平野氏の領地に島津が預けと説明版にはあります。 海から近く かつすぐ背後に山があり、いざというときは山をの中へ逃げられる地形であることがわかります。

  宇喜多秀家はこの地に約2年ほどかくまわれて、島津氏の嘆願もあってか、徳川家康に助命つれ、八丈島へと流されていきます。  昔の武将たちの義理堅さを感じることができます。

  宇喜多秀家の正妻は前田家出身であったため、妻の実家からも八丈島に流された後も 援助はあったと伝えられています。
 




 
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