鹿児島の地名は何を意味している?? 



 
 九州南部、特に旧薩摩藩に目立つ地名として「何々原」という地名があります。例えば 鹿児島市の紫原団地、西南戦地の激戦地田原坂 史跡として有名な西都原古墳、霧島山麓の高原町など、すべて「原=ハラ」ではなく、「原=ハル」と読みます。九州以外に生まれ育った人々は、多分「原=ハラ」と読むはずです。
 この「原」をハラではなく、ハルとなぜ読んでいるのか、地元鹿児島の人々でも知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。昔からそういうように読んできたから 現在でも読んでいるだけだと思います。地名は歴史が刻んであるすばらしい史跡なんですが、その際 漢字表記に囚われるのではなくて、音に注意を払うべきであることは常識です。
 ところで、この「ハラ」とはどこから発生したかと言うことですが、これも古代朝鮮語から発生してきていると思われ、その語源は「ポル」という古代朝鮮語にあり、元来 「聖なる場所」とか「村邑」などを意味すると言われています。
 「ポル」から「ハラ」へ進化していく中での中間形態が「ハル」であって、決して訛りなどではないと主張されているのは『地名・苗字の起源99の謎』の著者鈴木武樹氏です。
 鹿児島県には春山という地名もあちこちにありますが、これなども「ハル・ヤマ」で「原=ハラ」の同音と考えていいと思われます。年配の方にはなじみのある中国華北の地名「ハルピン」の「ハル」なども同じ系列で考えられそうです。九州南部には古代に「高句麗」系の渡来人が多くやってきていますので、ツングース系の文化が介在していると推測されます。

《追記》2007年宮崎県知事に当選した《そのまんま東》こと《東国原英夫》氏の《国原こくぱる》の読み方にも端的に南九州の古代文化の名残が残されていることが改めてわかりました。

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