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今治城   愛媛県今治市 


今治城は、関が原の戦功より、伊予半国を与えられた藤堂高虎が、この地に入り新たに築城したことに始まります。今治にはそれまで国府城という城があったものの、城作りの名人の藤堂高虎には地勢が気に入らず新たな築城となった模様。


この城は全国でも珍しい海水を堀の中に引き込んた海城です。小早川隆景の築城した広島の三原城と同様、瀬戸内海という自然の海を利用した海の要害です。現在の堀も、瀬戸内海の海水が入り込んでいます。

藤堂高虎は関が原の戦功により、宇和島7万石から 伊予の国府(今治)に20万石で入封。しかしその後伊勢の津へ転封となつたため、今治は高虎の養子高吉が二万石で今治に残ります。その後高吉自身も1635年伊賀の名張へ転封。
 その後を受けて、入部したのは、伊勢長島にいた松平定房で、三万石で入部し、その後5千石分知して3万5千石で明治維新まで続きます。
 松平定房の兄、松平定行が松山藩15万石に入封するので、隣の松山藩とは兄弟の関係です。ここの松平氏の、祖は徳川家康の母於大の方の実家で久松氏です。定行の父定勝は於大の子で、徳川家康とは異母兄弟になります。このため久松氏は徳川一門として扱われます。

写真は今治の城を築城した藤堂高虎の騎乗の銅像。城内の一角にあります。藤堂高虎は築城の名人と言われて、四国には彼の築城した宇和島城もあります。





観光度★★
現在の城郭には、特にこれといった魅力はなし。縄張りは藤堂高虎といいますから、当時のままであれば、素晴らしい城だったと思います。この城も日本各地の城郭と同様、市街地の中にポツンと、瀬戸内海から切り離されて孤立しています。もともと城は、周囲の環境と一体化していたものですから、周囲の環境が変化すれば、城の姿の雰囲気も異なって感じられるはずです。瀬戸内海の海城という特徴が感じられないので★★にしました。


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