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亀居城跡   広島県大竹市 



亀居城は、関ヶ原の戦いによって、毛利輝元のあとを受けて安芸に入封した福島正則の支城跡である。
 福島正則は、1601年、広島城に入ると、国境を防衛するための四城を設けた。三次、東城、三原、そしてここ亀居城のある小方である。小方は、現在の広島県大竹市の行政区にあたる。小方の亀居城は、西の毛利氏、特に国境を接する岩国の吉川氏に対する防衛戦であったことは明らかである。
 瀬戸内を見下ろす高台にあり、軍事的にも重要な要衝の地であり、亀が伏した姿に似ていることから、この名が付けられたという。  福島正則は、この要衝の城に、甥の福島伯耆を一万石で配置した。

 亀居城の構築は1603年から始められ、水野次郎右衛門を総奉行に、片尻飛騨を大工棟梁に任じて完成を急がし、五年の歳月を経て完成するが、城主の福島伯耆が前年死亡したため、山田小右衛門・森佐助の両名が守将を命ぜられ兵を率いて入城した。
 城の面積は約10ヘクタール、周囲は約2キロにもおよぶ、立派な城であったという。しかし1612年、城は破却させられた。

 福島正則のあとをうけて、安芸国に入封した浅野長晟は、小方に家老の上田宗箇を1万石で配置した。上田宗箇自身は、広島の城下町に居住していたので、この城はその後廃城となる。











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