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八代城   熊本県八代市 



八代が現在の地に築城されたのは加藤清正の時代です。
熊本には一国一城令にもかかわらず例外的に支城を築城することを幕府より許可されます。
これは明らかに薩摩藩に対する牽制です。1620年八代城代加藤正方により現在の地に八代城を築きます。
 
 1632年加藤忠広が改易されると そのあとに細川忠利が入部してきます。しばらくの間は八代城は細川忠利の父忠興の隠居先として
使用されますが、忠興が亡くなると 細川氏の家老松井興長が八代城主として入ります。以来三万五千石の城主として幕末まで続きます。






松井氏は近江山城国の出自で、松井康之が将軍義輝に仕えていたものの、三好、松永によって義輝が暗殺されると、細川藤孝を頼りその客分的重臣として仕え始めます。
こうして細川氏と松井氏との同輩的関係ができます。細川氏の家臣という立場ではあるものの、心情的には同輩という関係であるという点に、松井氏と細川氏との微妙な主従関係があるわけです。松井康之はなかなかの武将だったようで、朝鮮出陣においてめざましい武功を立てたことで秀吉から石見18万石を与えられますが、これを固辞、代わりに出身国の山城に170石の領地を受けます。
この領地はその後代々秀吉、徳川家康からも朱印地として宛がわれていきます。したがつて、松井氏は細川氏の陪臣という立場と、徳川家から直接給与をもらっている立場としての、二重の立場を持っていたわけです。
 このため、松井氏自身には参勤交代の義務はないわけですが、松井氏の自家、および将軍の代替わりには、江戸に出府して将軍に謁するという慣例を持っていました。
陪臣にして、大名並みの扱いを受けていた松井氏とは、きわめて異例な家柄と言えます。


観光度★★
一国の家老クラスが詰めていた城とユニークです。城だけが近代化した町の中に取り残されている感じです。




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