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高鍋城   宮崎県高鍋町


高鍋町は、宮崎平野の中原にあり、太平洋の大海原の波の音が聞こえてきそうな静かな町にあります。
 高鍋城は、もともとは財部城と呼ばれていて、この地方に古来より勢力を張っていた土持氏の城だったところです。土持氏は、宇佐神宮の神官の一族で、平安時代あたりからこの地に土着していった一族です。日向の地に関東武士の伊東氏が入り込んで以来、伊東氏と土持氏との抗争がこの地で行われるようになり、最終的には日向南部を押さえた伊東氏に城は落とされ、伊東氏最盛期には伊東氏の城となります。
 しかし1577年には、薩摩を統一し、日向へ進出してきた島津氏に伊東氏が日向から追い落とされることによって、この財部城も島津氏のものとなります。
 その後、豊臣秀吉の九州征伐により、島津氏が大隈薩摩に押し込められことで、日向は改めて秀吉によって細分化されます。この財部には、秀吉に対抗して破れた筑後の太守秋月種実の嫡男秋月種長が、筑後を取り上げられ、替わりにこの地に三万石で入封し、財部初代藩主となります。
 財部が高鍋と改称されるのは、三代藩秋月種信の時のことで、このとき大々的に城の拡張と城下町の整備が完成したようです。


秋には石段の両脇に備えてある灯篭に灯りが付けられ、幻想的な世界をかもし出します。
 ぜひ、一度見てみたいものです。

観光度★
城跡が寂れた感じで残されているという感じです。ただし秋には石段の灯篭全部にろうそくがともされるらしいので、これを見たら、印象も変わるかもしれません。

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