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杵築城 大分県杵築市 |
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この地は戦国時代には大友氏の領地であり、大友親秀の六男親重がこの地に領地を分地され、この地の地名杵付に改めます。当時杵築とは、杵付と表記されていました。 大友一族の杵付氏も、秀吉の時代になり、宗家の大友家が取り潰しになると、杵付氏17代の木付統直は、朝鮮から帰途、宗家取り潰しの報を聞いて、壇ノ浦に帰ってくると、その地で自害して果てたと言います。 こうして杵付氏が宗家大友氏と運命を共にして没落したあと、杵築の領主はめまぐるしく変わります。 まず秀吉の一族杉原氏が入封、ついで細川忠興が入封。1632年には小笠原忠知が入封。小笠原忠知が三河吉田に転封になると、そのあとには松平英親が豊後高田から三万二千石で入封し明治まで続きます。 それまでの杵付が杵築に変わったのは、1712年六代将軍家宣の朱印状に杵築と誤記されたことに始まると言われています。 現在の天守閣は昭和45年に復元されたものです。 |
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観光度★★ 城は狭く散策するほどの広さはありません。杵築観光は、その城下町散策にあります。これはお勧めします。 関連情報 歴史の景観―街並み―杵築 |
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