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中津城 大分県中津市 |
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九州を平定したした豊臣秀吉は、豊前中津に黒田孝高を配した。 しかし鎌倉時代いらい守護職として続いていた宇都宮氏は、黒田氏の豊前入部に対して 頑固に抵抗。そのため黒田氏も中津城築城の工事には取りかかったものの即中津城完成と言うわけにはいきませんでした。 最終的には頑固に抵抗する宇都宮鎮房は中津城にて謀殺されてしまいます。 時代は関ヶ原へと進み、黒田長政の軍功によって黒田氏は豊前から筑前52万石の太守に移封されます。 そのあとに豊前に入部してきたのは、細川氏です。細川忠興が隠居所として中津城に入り、細川忠利が小倉城に入ります。 中津城が最終的に完成するのは、細川忠興の時代です。 |
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細川氏が肥後の国に転封となると、そのあとに小笠原氏が入部、さらに1717年には奥平昌成が丹後宮津から中津10万石の城主として入部し、 奥平氏が幕末まで続きます。 現在の天守閣は奥平氏によって昭和39年に復元されたものです。 中津といえば 中津藩というより、福沢諭吉の出身地として全国に知られるようになりましたが、残念なことにこの中津城、市から民間人に売却されたとのことです。いやはや、地方自治体の財政危機の影響はこんなところにも現れ始めています。奥平氏もさぞ残念至極のことであったろうと思います。福沢が親の敵とまで言っていた封建制度でしたので、封建領主のシンボルである中津城の維持に慶応大学が資金援助するなど到底無理な話だったのでしょうか。因みに韓国人の手に渡ったと耳にしております。 |
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観光度★★ 石垣などは史跡としての価値が高いものですが、ごく平均的な雰囲気です。 関連情報 歴史の景観―建築―福沢諭吉生家 |
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