佐伯城は1601年毛利高政が二万石で、日田から移封されてきたことににより、新しく築城されます。佐伯の地は、戦国時代までは代々この地の豪族佐伯氏が栂牟礼山城に拠っていましたが、高政はあたらに城を築くべく海抜140メートルほどの八幡山を選定し築城します。
城を築くに当たって、高政は遠く近江から市田祐定なるものをよび、城の縄張りをさせます。市田祐定は織田信長に仕え安土城築城にも関わった経験をもっていました。
他にも石垣師として播磨の羽山勘右衛門など他国から多くの職人を選んで築城工事に参加させています。城は三年後に完成しますが、羽山勘右衛門は、工事中に高政に暗殺されます。当時城の普請に関わり、城の重要機密に当たる設計等についての内部情報を知る当事者を消すことは珍しくないことですので、秘密保持のためと考えられます。
それまで山頂の本丸にあった城主御殿は三代目の高尚の時、山麓の三の丸に移され、藩の政務は専ら三の丸御殿で執られます。
山頂からは佐伯市街が展望できます。近世城郭ながら、中世の山城の赴きも感じられ、城散策にはお勧めのスポットです。
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