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牧聞神社

  牧聞神社は旧薩摩国の一の宮として古くから崇拝されてきた格式のある神社です。 実は薩摩一の宮としては、鹿児島県川内市にある新田神社もあります。
  牧聞神社に祀られている神は、天照大御神に対して、新田神社の方は、瓊瓊杵尊となっています。
  神話の中では、瓊瓊杵尊は、神武に繋がる系統の祖先となり、その瓊瓊杵尊は、日本の神の始祖である天照大御神の流れの中に位置付けられているので、系統からいえば、天照大御神を主神とするこちら牧聞神社の方が、神話のルーツ上、その起源は古いのではないかと思います。
  牧聞神社のご神体は、背後に控える開聞岳であることは、神社の拝殿の位置からして明らかです。 ということは、開聞岳をご神体とする人々といえば、黒潮に乗って日本にやったてきた海洋民の人々ではないかと思います。 開聞岳は、海洋民にとっての重要な目印だったのではないでしょうか。 その海洋民にとっての、始祖神こそが天照大御神ではなかつたと思います。 
   現在伊勢神宮が天照大御神のご本家のようにされていますが、私は、この牧聞神社のあるこの地あたりから、縄文文化にあたらしい文化をもたらしてきた海洋民の人々の上陸地点、その後の日本建国への出発点ではなかったのではないかと考えています。
  鹿児島から対馬海流と日本海流の日本に分岐し、それそれ北上していったと考えています。 対馬海流の途上に加世田周辺の鉄遺跡、川内の瓊瓊杵尊関係の伝承史跡かあり、太平洋側のルート沿いに、宮崎の古代伝承史跡や大分の宇佐やその先の紀伊半島の熊野などの地との繋がりがあるのではないでしょうか。


開聞岳は東シナ海航海の際の重要な目印であったと思われます。黒潮に乗って日本に北上してくる古代の人々か、この開聞岳をご神体として崇拝してきたのは自然なことだと思います。
 



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