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韓国宇岑神社


《からくにうずみね》神社と呼びます。 祭神は案内版によれば、五十猛命。須佐之男命の息子とされます。朝鮮半島に渡り多様な植物の実を持って帰り 植樹したと伝えられている神様です。
案内板によれば、715年に豊前の国から約五千人ほどの民をこの地の隼人懐柔のために移住させた折、豊前の国からこの神社をこの地に勧請したものと説明しています。 また韓国神も祭神としています。

  豊前の国の民とは新羅系の人々のことだ思われますが、この地と新羅との濃厚な関係は大和岩男氏の《秦氏の研究》の中でも指摘されています。一例としては、新羅の風習《花郎》と薩摩の《稚児》風習との類似性。

  また李 炳銑の《日本古代地名の研究》によれば、祭神として他に曽富理神も挙げられていますが、これなど明らかに《ソウル》と語源的には同じといえます。 李氏もこの地に定住し開拓してきたのは、天孫族で新羅系としています。  いくつかの根拠をしてている中で、私の注意を引いたのは、新羅の始祖赫居世と同じ名前の《居世神社》が垂水市に存在していること、その近くに《白鹿》という地名について言及していますが、《白鹿》とは《白木》など同様に新羅の意味であることを指摘しています。国分の重久の隼人城の麓には《白木神社》があります。 

  その《白鹿》について、特に注目したいのは、近隣の垂水市ではなく、鹿児島神宮近辺にも《鹿》の地名があるのが気になります。 隼人の松永に小鹿野という集落名があること。楠が流れ着いて大きくなったと伝わる漂流伝説を匂わせる史跡が《こがの杜》と呼ばれていますが、小鹿野と同音であること。李氏は鹿児島の地名の由来を鹿にあると推測しています。


 










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