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投谷神社



 投谷神社は 案内板の説明によれば、鹿児島神宮の外宮としての位置づけとなっています。 鹿児島神宮との距離は優に数十キロは離れていますが、このあたりまで、鹿児島神宮の領域だったということでしょう。

  この神社が 鹿児島神宮のコピーであることは、石体神社が一体としてあることです。石体神社と鹿児島神宮が一体的なものであることは、鹿児島神宮についての記事で説明してあります。石体神社が、隼人族の神社であることは、そこでも説明してありますが《石体神社とは何か》、その傍証として、この神社についても指摘おきたいことは、この神社の近くの集落に《阿多》を名乗る家が何件があることです。  この《阿多》姓の人々が、阿多隼人の《阿多》であることは想像に難くないと思います。 神社だけがこの地に来ているのではなく、それと関係が深い隼人族の人々も一緒についてきている可能性があります。 



この岩゛がご神体ということです。史跡案内板によれば かつてこの石を割ろうとしたら、鮮血が流れ出で、石工は即死したということです。 もともとは三体あったということです。 右側の石の上側にノミを入れた跡が残っています。




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