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延命寺跡   広島県安芸高田市




延命寺跡は、かつての出雲の覇者尼子経久の孫、尼子義久ら三兄弟と重臣数名が幽閉されていた寺跡である。現在の広島県向原町の山林の中に所在する。
 毛利元就による足掛け3年間の出雲攻略によって、不落の要塞を誇った出雲の名城もついに落城した。月山富田城を明渡した尼子義久ら三兄弟は、毛利元就に命を助けらた。
 義久と家臣一同や妻は、現在の島根県大社町の杵築まで護送され、そこで別れの酒宴を許され、別離を惜しんだという。義久の妻の墓は、出雲市の観音寺に所在する。
 義久三兄弟と義久に同行を許された重臣は、そこから安芸の向原に護送され、向原の延命寺に厳しい監視の下に幽閉された。
 義久らは、毛利氏が長州へ移動するまで、この安芸の地で約23年間ほど監視下に置かれることになるが、尼子家再興を旗印に活動する山中鹿介らの活動が一段落した1589年以降は、近くに居館を構えることを許される。現在もその館跡は広島市安佐北区白木町に残っている。
 関が原の戦いに敗れた毛利輝元が防長へ転封になると、義久三兄弟も山口県阿武町の奈古へ千石余りを給与され、その地で生涯を終えている。

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