Samurai World>武将と寺院




福成寺   広島県東広島市

福成寺は、西条盆地を見下ろす山上にある真言宗の寺院である。  寺の縁起によれば、聖武天皇の時代に開基され、はじめは福納寺と称していたが、1020年前後に現在の地に寺地を移し福成寺と呼ぶようになったという。 源平合戦のとき、戦禍で諸堂をことごとく炎上し、その後復興されたが、1322年頃、再び火難にあったという。   今日、この寺に伝えられる九通の文書(県重文)のなかには、後醍醐天皇、後村上天皇の寺領安堵の綸旨があり、この寺が建武政府の庇護をうけ、この地方における南朝勢力の拠点であったことをうかがわせる。  室町・戦国時代に入ると、周防大内氏が新しく獲得した東西条の鏡山城を眼下に見下ろせるこの山上に信仰の拠点を進出させ、大内氏の氏寺氷上山興隆寺の末寺として繁栄した。  毛利氏が大内氏にかわってこの地域を支配下におさめるようになると、毛利氏の保護をうけた。  伊予の最後の大守河野通直が土佐の長居宗我部氏の猛攻をうけ、救援を求めて1584年6月、この寺に来て、毛利輝元と会談したことを示す文書も残されている。



関連ページ
サムライたちの墓―中国編―河野通直の墓
寺院と神社―広島―長生寺
 
 
inserted by FC2 system