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竹林寺  広島県河内町

この寺は、730年この地を訪れた行基によって開山されたと伝えられています。その後、 八千代という女性が一千日夜中参詣の願をかけ、その願いかなってできた子供が参議小野篁であることから、篁山普陀落院竹林寺と名前を改められるようになり、爾来竹林寺と一般的に呼称されてきたと寺伝は語ります。
 戦国時代の1540年には、この地の国人領主で、頭崎城主であった平賀興定が頭崎合戦で毛利元就に城を落とされ、僧籍に入り、この竹林寺に入山したと言われています。その時建立したのが本堂と言われています。
 頭崎合戦とは、平賀氏の長老で興定の父平賀弘保が大内氏側につき、頭崎城主の興定が尼子氏についたことから、大内方の毛利元就が頭崎城を包囲落城させた合戦のことです。興定の跡は、息子の隆宗が平賀氏の家督を受け継ぎ活躍していきます。
夕日が紅葉を照らすと、中世の教会のステンドグラスを見ているように厳粛な気分になります。そういう俗とは異なる異次元の空間をここ竹林寺は私たちに提供してくれます。秋の紅葉の頃、昼から出かけて夕日が傾く頃までいることをお勧めします。
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