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慈恩寺   島根県江津市


慈恩寺は、足利直冬が余生を送った寺である。島根県江津市都治に所在する。
 足利直冬は、足利尊氏の庶子で、身分の低い女のもとに生まれたためか、何かと父尊氏から疎遠に扱われる。そんな直冬を見かねて養子としたのが、尊氏の弟直義である。直の一字は直義から拝借している。
 尊氏は、1349年中国八カ国を支配するために、直冬を中国探題として現在の福山の鞆の浦に赴任させたが、父尊氏と高師直兄弟と直義との間の確執が表面化し、これに南朝と北朝との争いが加わり、相争う騒乱の時代に突入する。
 直冬も鞆の浦から石見に移動し、石見の豪族を味方につけて、宮方(南朝方)の総大将として祭上げられ、各地で幕府方と戦っていくのである。
 石見、安芸の豪族で直冬方についた武将は、三隅兼連を筆頭に、高橋師光(のちに毛利元就に一族族滅される一族)、山内首藤氏、毛利親衛(毛利元就の先祖)、益田兼見、福屋氏、佐波氏などである。
  しかし南朝方の勢力はじりじり狭められ、直冬は現在の江津市の高畑城にこもり、近辺の豪族福屋氏、三角氏、佐波氏、高橋氏などが加勢し、幕府との最後の決戦を迎える。
 1376年、石見地方の事情に明るい荒川詮頼を再度石見の守護に任命し、石見討伐に向かわせる。
 1376年7月 足利直冬は、ついに幕府に降参し、ここに中国地方における南朝方と幕府との騒乱は終止符が打たれることになった。
 幕府は、直冬からの嘆願もあってか、直冬を許し、都治にわずかばかりの領地を与え、南陽山慈恩寺に入り、隠居することで決着をつけた。
 直冬は、この地で静かな余生を送り、1387年波乱の生涯を閉じたと伝えられている。


 
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