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福昌寺跡  鹿児島市


 福昌寺は 島津一族の石屋真梁禅師が1394年に開山したと伝えられています。第7代島津元久が伽藍を建てて、代々島津氏の菩提寺として栄えていたと言います。
 現在は島津氏歴代当主の墓所が残されているのみで、往時の面影はありません。
 廃仏毀釈によって大伽藍は徹底的に破壊され、その跡地には、玉龍高校が建設されました。写真の墓地は玉龍高校の裏手に当たります。
  このあたりは大竜町と現在でも呼ばれていますが、このあたりが、島津の本城である内城があった場所で、島津本家の跡地になります。江戸時代に新たに鶴丸城を築城して、すっかり島津氏の本城は鶴丸城となりました。
  島津義久は日向耳川の合戦で大友軍を破りますが、その戦死者大友軍だけでも2万とも言われ、その戦死者を弔う大施餓鬼を数百人の僧を招いてこの福昌寺で行います。日新斎の影響で、貴久、その息子たち義久、義弘と信仰心が篤く、戦死者に対して敵味方同様に弔っています。戦場では殺戮を行わなければならない宿命を負った武将たちのできる限りの贖罪行為だったのでしょう。


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