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天昌寺跡  鹿児島県日置市
 


天昌寺は、1385年妙通寺として建立され、その後日向佐土原の城主島津豊久が関が原で戦死したことにより、佐土原が没収され、豊久の家臣たちがこの永吉に領地を貰い、永吉島津家の菩提寺となったものです。
 島津義久の末弟として誕生した家久は、特に兵術に優れ《軍神》の異名をとるほどの武将でした。1584年の沖田畷の戦いで竜造寺隆信の首をとり、1586年の戸次川の戦いでは、長宗我部元親の嫡男信親を戦死させるなど、大将クラスの武将の首を取るなど、島津氏の九州制覇に大きく貢献しています。
 しかし豊臣秀吉による島津征伐の前には、島津氏の中でもっとも早く降参し、直後に変死したことで、毒殺説が取りざたされています。
 その家久の後を継いだのが、嫡男の豊久です。しかし豊久は関が原の戦いに、伯父義弘と参戦し、伯父島津義弘を逃がすため、井伊直政の追撃を一手に引き受けて壮絶な戦死を遂げます。佐土原が徳川家康により没収となったため、豊久の家臣一同は、義弘に頼り日置の永吉の地に領地を貰い、喜入忠栄を養子に迎えて永吉島津家を興します。
 寺跡には、歴代永吉島津家の当主および正室の墓が残されているだけです。島津豊久の墓はこの天昌寺跡にあり、父家久の墓は数キロ離れた梅天寺跡にあります。


関連情報
薩摩紀行―島津氏略系図
サムライたちの墓―島津家久の墓


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