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向上寺   広島県瀬戸田町



向上寺は小早川氏の庶子家生口氏の初代生口惟平とその子守平によって建立された寺である。1432年建立とされる。
 広島県瀬戸田町に所在する。写真の三重塔は現在国宝に指定されている。
 生口氏と小早川氏との家系図については、小早川氏の家系と歴史を参照されたし。
 生口氏は、この島が生口島と言われていたことから、在地名を名乗る。
 生口島はもともとは皇室領であったが、源平合戦や承久の乱を通じて、宮方について武家方に抵抗したため、武家方に没収された没官領地となる。
 南北朝時代、この島を拠点としていた南朝方を落とした功績により、小早川惟平にこの島が与えられ、生口氏が始まることになる。
 小早川氏は、安芸国の沼田荘に土着した頃は、内陸部への進出や沼田川河口部の干拓などで勢力を拡張していたが、次第に沼田川から瀬戸内海へと進出していく。
 小泉氏、浦氏などが小早川氏の中でも瀬戸内海との接点をもった一族と言えるが、この生口氏の生口島獲得によって、小早川氏は陸の武士団と言う性格から、後に小早川水軍と称されるような海の武士団へと性格を変えていくことになる。
 つまり、小早川氏は、瀬戸内海へ進出することによって、海上輸送に関わることからあがる莫大な利益を獲得することができるようになるばかりでなく、瀬戸内海ばかりか遠く朝鮮貿易にも従事していたのである。小早川氏の本拠沼田の外港として生口氏の瀬戸田港が位置づけられていた。小早川氏がほかの国人領主レベルから一段と上のレベルに位置付けられていた最も大きな原因は、この海の経済活動にあったわけである。
 生口船は、兵庫北関に入港する際の免税の特権をうけているほど、生口氏の海の経済活動はスバ抜けている。主な輸送品は、弓削島や因島の塩である。
 例えば兵庫には北関と南関の二つがあり、北関の方は東大寺が入港料や関料を取る権利をもっていたところだが、「兵庫北関入船納帳」という当時の東大寺に納入される物資の陸揚げの内訳を詳細に記録した文書が残っていて、それによれば、1445年1月から2半ばまで61艘の入船があり、うち30艘が塩を積んだ船であり、そのうち三分の一が小早川氏の支配する地域からの塩であったとある。しかも生口氏配下の船は免税である。
 弓削島、因島は当時、東大寺の荘園であったが、海賊などの狼藉に悩まされており、それに対抗するために生口氏などを頼りにして、在地の役人にしているが、当の生口氏自身が、狼藉や横領を行い勢力を拡張する張本人であったわけで、幕府からの撤退命令もむなしく、現地で領地を我が物顔に私領化していったり、そこからあがる莫大な利益を横領しながら、次第に大名化していくのである。元就の三男隆景が継いだ小早川家とは、そういう家系だったのである。その海の経済的・人的ネットワークを背景とする軍事力は、他の安芸国の国人領主を圧倒していた。
 写真の三重塔は、そういう中世の瀬戸田港の繁栄からあがった財をバックにして作り上げたものである。そんな思いで三重塔から閑散とした現在の瀬戸田港を見下ろすと、また別の風景が見えてくるのである。

 



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