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匡真寺跡   広島県本郷町


匡真寺は、小早川隆景が母妙玖の33回忌にあたりその法要を行うために新高山城内に建立した寺である。小早川隆景が新高山城から三原城へ本拠を移すにあたり、この寺も三原へ移され、宗光寺と改められて、現在に至っている。宗光寺の総門は、新高山城の大手門が移築されており、現在でも当時の新高山城の大手門を見ることができる。
 小早川隆景にとって、母妙玖が亡くなったのは13歳のときであったためか、隆元、元春、隆景の三兄弟の中で、母に対する思い入れがもっとも強く感じられる。この匡真寺もそんな隆景の母への強い追慕の現れであろう。
 隆景の宗教への思い入れは、人並みならぬものがあったと思われ、竹原、三原と至る所に寺を建立したり、名のある禅師を招聘したりしている。
 戦国時代末期を代表する知将として、豊臣秀吉やそのブレーンであった黒田如水、さらには徳川家康たちに、日本国に小早川隆景ありと言わしめた一人の熱き人間の足跡が、風化した瓦の中から聞こえてきそうな気がした。
 写真は、新高山城跡の中腹に残されている匡真寺跡と無造作に積まれた瓦の残骸。庭園らしきものがあつたと推測させるような水利が今でも潤っている。



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