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万福寺   島根県益田市

益田氏十一代益田兼見によって、安福寺と呼ばれていた寺を現在地に移し万福寺とあらため、みずから剃髪し祥兼と号し、この寺にて逝去した。その後益田氏の菩提寺となる。
 益田氏最盛期の15代益田兼尭が、大内氏の山口に逗留していた雪舟を招聘し、以後益田兼尭と雪舟との生涯に渡る交流が始まることになる。
 1469年から1486年にかけて、医光寺の住職のとき、医光寺の庭園を作庭したが、同時にこの万福寺にも庭園を作庭した。
 医光寺の庭園が、武家様式の造りであるのに対して、こちら万福寺の庭園は、寺院様式の庭園であるとされ、どちらも雪舟が作庭した当時のまま今日まで残されており、画聖雪舟の深遠な世界を、水墨画以外の形で鑑賞できる数少ない寺として、わたしたち日本人の貴重な文化財産と言えよう。
 
 老婆心ながら、現代の私たちの目には、医光寺の武家様式の庭園のきらびやかさの方が、求心力があるようで、寺院様式のこの庭園の世界の味わいは、禅の世界へ通じるものがあり、難解な世界であるように思われます。庭園の人気についても、当然、医光寺の武家様式の方の訪問者が多いようです。相対的な話ではありますが、武家様式の造りのほうが、より単純であるということでしょうか。


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