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万徳院跡  広島県千代田町


 万徳院は、吉川元春の嫡男元長が創建した新しいタイプの寺でした。吉川元長は、元春の嫡男として文武両道に優れた武将で、16才にして月山富田城攻撃に初陣を飾ってから、父元春と幾多の合戦に参加していきます。
しかし彼は、武人としての生業に心苦しんでいたようです。人を殺さないとならない武人としての宿命に悩んでいたようです。それは単に彼一人の悩みではなく、当時の心ある武将たちなら誰でも受け止めていた問題でもあったと思います。
父元春なども陣中で太平記などを写本したり、和歌などをしたためていたのは、心の安心立命を求めていたからだと思えます。
しかし元長には、父元春とは明らかに違う精神があったようです。これは生前彼が僧と交わしていたさまざまな問答が残されていて、明らかに彼は、一人の人間として殺生へのやり切れなさ、この世の無常観を感じていたと思われます。
万徳院は、そんな彼が、すべての宗教、宗派を超えて、魂の安らぐ場所として創建したと伝えられています。《万徳》という名前に彼の新しい宗教観が現れています。
そんな彼も 秀吉の島津征伐の戦の最中、日向の西都陣中で病没します。父元春が小倉城で他界してからわずか半年後のことです。享年39歳。元長亡き後は、三男広家が吉川家を継ぎますが、元長と広家でははやり毛利輝元に対する《重し》の格の違いは認めざるを得ません。父元春亡き後は、小早川隆景の次が吉川元長が毛利氏を代表する人物でした。彼が関が原まで生きていたら、毛利氏はもっと別の選択をした可能性あります。
 
後方に見えるのが 居城日の山城跡。

 
 


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