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理窓院   広島県安芸高田市


理窓院は、宍戸氏の菩提寺跡である。
 宍戸氏は、藤原摂関家の流れをくむ八田知家(鎌倉幕府評定衆13人のひとり)で、常陸国宍戸を発祥の地としている。
 
詳細は、下記の関連ページの古城紀行−五龍城を参照してください。

 理窓院は、後期宍戸氏の菩提寺で、宍戸氏の最初の居城跡・柳ガ城跡山麓に建立されている。
 理窓院は、毛利氏絶頂のころは、宍戸氏9万石の菩提寺として栄えていたようだが、関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏について萩に移るさいには、多くの宍戸氏家臣がこの地に残留を余儀なくされ、帰農していったようである。
  理窓院はそういう人々によって支えられていたようであるが、明治政府による廃仏毀釈によって、かつての多くの檀家も離れていき、衰退していったと言う。
 山門は、室町時代のもので、歴史を偲ばせてくれる。
 境内には、後期宍戸氏の繁栄を築いた宍戸元源夫妻の墓をはじめ、他に2、3宍戸氏の墓がある。
 なお毛利氏一門となった宍戸隆家の墓は、理窓院にはなく、理窓院から北へ数キロのところにあり、後期宍戸氏の始祖宍戸元家夫妻の墓も、次男隆兼をつれて深瀬の祝屋城に隠居したため、深瀬のほうにある。

関連ページ
サムライたちの墓−宍戸氏一族の墓をご覧ください。
古城紀行―広島―五龍城
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毛利元就紀行―古戦場紀行―岩見堂渡しの戦い
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