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千手寺   広島県庄原市東城


千手寺は、東城の城下町を見下ろす高台にある。町並みの向こうには、東城の地名の由来ともなった五品嶽城跡が見える。
 長尾隼人の供養塔は、そんな城下町東城と城跡を眺める位置に鎮座している。
 長屋隼人は、もともとの名は、山路久之丞と言って、先祖は近江佐々木氏と伝えられる。長尾隼人と名乗ったのは、福島正則が広島に入部したとき、山路という名字は相性が悪いということで変えさせたためである。
 最初は織田信孝に仕えたが、その後福島正則に仕え、生涯正則の腹心として仕えた。
 福島正則が安芸国に入部すると、国境の固めとしてそれぞれ、三次の尾関山城、大竹の亀居城、三原城、そして東城の五品嶽城に重臣、一族を配置した。
 長尾隼人は、戦国時代、宮氏の居城だった五品嶽城に一万石余の知行地を与えられ入部した。
  長尾隼人は、五品本嶽に入ると、この城を世直城と改称したと伝えられている。長尾隼人の意気込みが感じられる。
 地域の寺社に寄進したりして、地域支配のための怠りない配慮も見せている。
 大阪冬の陣、夏の陣にも、正則の嫡子忠勝の旗本として出陣、老齢に鞭打ちながらも正則の信厚く、忠勝の補佐役などを勤め、1618年この地で逝去する。
 その遺骸は、広島の国泰寺に埋葬されたが、翌年隼人の嗣子勝行が東城の地に供養塔を建立。今もその堂々とした姿を見せてくれている。
 現在でも東城の人々には、長尾隼人と聞けばその名はすぐ出てくるほどに、その存在感はしっかりと心に息づいている。


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