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善逝寺   広島県三次市吉舎



善逝寺は、初代南天山城主和智資実によって、14世紀半ば頃、建立された寺である。
 現在広島県吉舎町南天山城跡山麓にたたずむ。
 和智氏は、鎌倉幕府御家人であった広沢氏から分かれた一族である。武蔵野国の広沢郷に基盤を置いていたことから、広沢氏と名乗るようになる。その後承久の乱の功績により、備後にも領地を与えられ、備後進出の手かがりをつかむ。
 14世紀の半ば頃には、庶家の広沢実村を在地支配の強化のためか、備後の領地に移動させ、ここに備後和智氏のルーツが始まるこことなる。
 広沢実村は、息子二人にそれぞれ領地を相続させ、兄が江田氏と名乗り、弟が和智実成と名乗ることになる。
 兄の江田氏は、三次市と三和町との境あたりに旗返山城を築き、毛利元就によって城を落とされるまで続く。
 和智実成は、最初は現在の庄原市と三次市との境あたりを拠点にしていたようで、今でも和智の地名が残っているし、中国自動車の建設の際、当時の城跡と思われる遺構も発掘されている。
 その後、庄原市より数十キロ南部の吉舎町に南天山城を築き、以後9代約200年間にわたり、この地の封建領主として着実に勢力を伸ばしていく。
 9代誠春が、毛利元就に厳島神社社殿にて謀殺された時、この報を聞いた和智氏の家臣団が一斉に南天山城山麓のこの寺で自刃したと言われていて、今でも彼らの墓と伝えられている五輪塔の瓦礫が残っている。





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