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山城の変遷を見る―熊谷氏の場合
 
熊谷氏の初期の居城、伊勢が坪城跡である。
現在広島県史跡に指定されている。
熊谷氏は、承久の乱の功績により、この地三入荘の新補地頭として入部する。
比高約30メートルほどの居館的な要素が見られる。
室町時代に入ると、高松山城へ本拠を移したと見られるが、その後もしばらく隠居領として使用されていたと考えられている。
 
時代は特定できていないようだが、室町時代になって、三入荘の奥地の伊勢が坪城から、太田川水域の南へと本拠を移動させる。
標高339メートルの険しい山城である。
山頂の本丸跡からは、太田川水域、遠く武田氏の銀山城方面まで一望できる。
香川氏の八木城は、足下に展望できる。写真はその香川氏の八木城付近からの眺めである。
山麓には、居館跡、菩提寺観音寺跡があり、中世武士団の生活空間を残している。
菩提寺観音寺には、大内義隆が数回立ち寄っており、厳島神社の棚守職顕房を呼び出したりしているが、彼らの旅程は、多分太田川水運を利用して、瀬戸内海から直接河川水運に結びついたものと思われる。
江戸時代には、この地点から10数キロ上流まで船による運送が行われていたようである。
熊谷氏が奥地の伊勢が坪城からこの地点に城を移動させたのも、防衛上という点以外に、鎌倉後期から室町時代にかけて発達した流通経済に乗っていくという動きがあったものと考えた方が自然である。
 
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