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船山城跡   広島県安芸高田市



船山城は、毛利元就の異母弟、元綱の居城していた城跡である。細声峠を挟んで、郡山城の尾根伝いに位置する。
 元就が家督相続に動いていたころ、山陰の尼子氏をパックにして、元就の異母弟元綱とその一派である桂氏、渡辺氏が反元就擁立の動きを示していた。
 その動きを間者からの内通によって事前に察知していた元就は、元綱擁立の動きを抑えるために、船山城、渡辺氏の居城長見山城近くの渡辺氏の館を急襲した。1524年4月のことである。
 この事件によって、元就の毛利家相続に反対するものはなくなり、元就が毛利家当主となる手はずが整えられることとなる。
 この事件にってもわかるように、通説となっているように、元就家督の経緯は、志道氏などの重心側から元就に家督を継ぐように勧められたのではなく、元就の強い意思によって毛利家の家督相続を元就本人が望んでいたことを示している。
 このときの事件によっても隣に暗殺された元綱を祀る船山神社は、細声峠を挟んで郡山城の尾根側に現在はある。またこの峠を細声峠と昔から呼んできたのは、元綱を暗殺するために船山城に近づいていくとき、気づかれないように声を細めたということから由来しているという。
 また元綱の墓と伝えられているものも、この城跡近くの民家の傍らに今でも花が添えられ大切に地元の人々に墓守されている。



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