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比熊城跡   広島県三次市



比熊山城は、備後の三次一帯に勢力をもっていた三吉氏の居城跡である。
 三吉氏も他の安芸国の国人領主たちと同じく関東御家人であり、12世紀末頃この地に地頭として下向し土着した一族である。はじめは、比熊山城より数キロ北よりに本拠を構え、比叡尾(ひえび)山城を築いていたが、1570年代になると南の江の川沿いの比熊山城に移る。戦国時代になると出雲の尼子の勢力がこの地にも及び、たびたび戦いを交えた。尼子晴久が郡山城総攻撃に出陣する前、偵察隊として先発した新宮党の3000余の軍は、三吉氏の案内を受け、宍戸氏守る祝屋城へ攻撃していく。やがて毛利氏の勢力が圧倒的になるに及んで、毛利家臣団の中に編成されていく。比熊山城に本拠を移した頃には毛利氏配下にあったと思われる。現在城跡への登山は登山道もなく、困難となっていてその形跡を確認することはできない。
 三吉氏が毛利氏とともに安芸から去ると、安芸の大名となった福島正則が国境の防衛のため、支城を築き家老を置く。それが写真の手前側の小高い丘である。現在では尾関山公園となっている。
  江戸時代になると、比熊山山麓の館跡には、浅野家の支藩である三次浅野藩が成立し、初代当主の浅野長治(ながはる)が菩提寺鳳源寺を建立した。比熊山城跡山麓には、長治の墓がある。



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