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祝屋城跡   広島県安芸高田市


祝屋城は、宍戸元家が五龍城を譲り、次男隆兼を連れて隠居した城である。隆兼はこの地名をとり深瀬氏と名乗る。深瀬氏の始まりである。
 深瀬氏が活躍するのは、郡山城合戦のときである。山陰地方の覇者尼子経久の孫、尼子晴久は毛利元就を打つべく1540年、3万の大軍で郡山城へ攻めてくる。その遠征の偵察隊として尼子の戦闘軍団として知られていた尼子国久(晴久の叔父)率いる新宮党3000余の軍が三次方面から攻めてきた。
 宍戸氏は、江の川を渡り郡山城へ侵攻しようとする尼子軍に、この祝屋城近辺で迎え撃つ。宍戸氏、深瀬氏の必死の奮戦で新宮党は敗れ、月山富田城へ逃げ帰る。この敗戦で、尼子晴久は三次方面からの進撃の不可能をさとり、郡山城進撃路を変更し、石見路を選択することになる。
 この時の宍戸氏、深瀬氏と尼子新宮党軍との古戦場跡は、祝屋城前の江の川付近である。
 祝屋城のある深瀬には、宍戸元家夫妻や深瀬氏の墓が点在している。




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