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仁保城跡   広島市



仁保城は、安芸国へ下向してきた関頭御家人千葉氏の一族白井氏の居城跡である。
 広島市南区に所在する。現在黄金山と呼ばれ市民に親しまれている。
 白井氏は、安芸国に下向した当初より、安芸国守護の武田氏の警固衆として武田氏の配下で活動していたと言われている。
 当初は、安芸国の国衙があった現在の府中町に出張城を築いて本拠としていたようであるが、戦略的な都合からか次第に広島湾頭の出口に近い、仁保城を本拠としていたと言われている。
  1555年防長の陶晴賢と決別した毛利元就は、安芸国における陶方の勢力を駆逐し始める。
 仁保城の白井氏と、矢野城の野間氏は、警固衆として反毛利の立場をとっていたので、毛利元就の標的にされる。
 毛利元就の戦略は、広島湾頭の警固衆を駆逐することで、その後の陶氏との戦いを優位に展開していくものであった。毛利元就は来るべき陶氏との戦いを、海上戦と位置づけていたからである。
 毛利方に城を包囲され落城した跡は、この城には、以前は白井氏と同じく武田氏の警固衆として配下にあった八木の香川氏が城番として詰める。
 白井氏は、厳島合戦の際には、あくまで陶方の警固衆の総括者として位置づけられていたが、具体的に合戦中どのような行動をとっていたのかはっきりしないと言う。
 厳島合戦後は、小早川隆景の配下に組み入れられ、防長制圧戦のための有力な警固衆として毛利氏のために働いている。

 写真は、毛利元就に一族族滅させられた野間氏の居城矢野城から、仁保城を展望したものである。中央の小高い山が仁保城跡である。現在は市街地の中に所在するが、当時は現在の広島駅近くまでが海外線であったと言う。
 仁保城の先に遠くかすんでみえる山が、武田氏の居城銀山城跡である。武田氏配下の領主たちの城が、ネットワークのように連携していることがよくわかるであろう。






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