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猿掛城跡  広島県安芸太田市




 猿掛城は、毛利元就が毛利本家の家督を継ぐ27歳までを過ごした城ですが、築城年代は明らかではありません。毛利氏が利用する以前から何らかの砦として開かれていたものと考えられます。
  大内氏と尼子氏との板ばさみから逃れるために30代の若さで隠居した毛利弘元は、家督を嫡男興元に譲り、元就を連れてこの城に移ります。元就3歳のときです。その後5歳のとき母と、10歳のとき父と死別します。兄興元は大内義興に従って京にあり、天外孤独のような境遇に於かれますが、このような元就を支えてくれた人が『お杉の方』といわれる人手です。元就の回想によれば、『お杉の方』は、元就を我が子のように愛情を注ぎ、養育してくれたといいます。
  『お杉の方』の墓と伝えられているものは、現在猿掛城近くの民家傍らにひっそりと所在しています。
  また猿掛城山麓には、父弘元、母の墓もあります。 写真の先端の小高い丘が出丸跡で、右側の高い山の山頂が本丸跡です。本丸跡からは郡山城が視界に入り、毛利氏にとって、北に接している高橋氏を睨む、要所にそびえる山城だったことがわかります。










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