高杉城は、三次地方南部を支配していた江田氏の支配下にあった祝(はふり)氏の居城跡である。
一見すれば、とても城跡には見えず、ちょっとした丘か繁った杜のようにしか見えず、現在は神社境内となっている。 しかし江戸時代に吉川氏家臣によって書かれた『陰徳太平記』のなかですごぶるその戦いが詳細に記述されていることで有名な城跡である。
毛利軍が江田氏攻略の前哨線として、この城を囲んだのは、1553年のことである。城主祝氏以下討死している。現在でも当時の堀跡がそのまま残っている。
城跡近くには城主祝氏以下家臣の墓が城跡を見守るかのようにたたずんでいる。
神社の土台に使われている盛り土は、元就が神社を清いあらためるために、瀬戸内海から取り寄せた砂であると言われ、現在でもその痕跡が確認できる。
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