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廻城跡   鹿児島県霧島市福山



廻城は、この地の廻氏の居城として築城されたものです。
 戦国時代末期にには、大隅と薩摩との境にあり、そのため大隅一円に勢力を拡張しようとした肝付氏の攻撃を受け、肝付兼続によって、1561年取られてしまいます。しかし薩摩半島をほぼ制圧しつつあった島津氏は、肝付氏のこの地域への進出を脅威とと受け止め、反撃にでます。これが廻城攻防戦です。
 この時、島津氏側では、島津忠良の次男で 島津貴久の弟に当たる島津忠将が討ち取られるなど、双方多大な損害を出しながらも、全力を投入した島津氏が、肝付兼続を配送させることに成功します。この後、肝付氏は島津氏に圧迫され、やがて滅亡していきます。島津氏と肝付氏との大隅の覇権をかけた攻防戦の舞台となったところです。
 しかし現在では、写真のように立ち入り禁止になっていて、中世の貴重な山城史跡の保存が切に望まれるところです。
 写真下は、島津忠将が陣を敷いていた馬立塁と呼ばれてる場所から、錦江湾を望んだ風景です。島津忠将が討ち取られた場所には、供養塔が建立されています。



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