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上井城跡   鹿児島県霧島市



写真は、鹿児島県霧島市に所在する上井城跡からの展望。島津義久が晩年隠居した国分城跡、さらにその背景には、古代隼人が立てこもった姫木城が展望できます。
 
 上井城は、島津義久の奏者で老中職を務めた上井覚兼の父祖為秋が拠った城として保存されてしかるへき史跡かもしれません。
 上井覚兼と言えば、《上井覚兼日記》で日本史の研究者には知られた武将です。島津氏の中枢にあった人物として、当時の出来事を日記に残しています。現存されている日記は27巻からなり、島津氏の当時の情勢を知る上で貴重な史料として評価されています。
 
 上井氏のルーツは、現在の信州諏訪の地で、祝職であった大神氏であったようです。上井覚兼の祖父為秋の代に、鹿児島県国分の上井に移住してきたようです。このとき拠った城が写真の上井城ということです。
 信州諏訪の祝職であった大神氏が、なぜこの大隅の地に移住してきたのか、興味は尽きません。この大隈の地と大神氏とのつながりは、はるか古代にまで遡るような気がしています。上井氏は、江戸時代には、諏訪氏に復姓していて、上井氏と諏訪の地とはどうしても切れない繋がりがあるということを示しています。
 
 覚兼の父薫兼の代には、薩摩半島の永吉の地頭になり、覚兼は父と伴にこの地を去り、日置郡の永吉の地に移ります。以後覚兼は、島津貴久、島津義久に仕え、島津氏の三州統一から九州制覇への合戦にはほとんど出陣しています。晩年は伊集院に隠居してその地で死去。
 
 城跡は 現在市民公園として整備され、散策の場として市民の憩いの場に変わっています。城跡山頂からは北には霧島、南には桜島が浮かぶ錦江湾が一望できます。









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