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横川城跡    鹿児島県霧島市横川


横川城は北原氏の居城跡です。
北原氏は、肝付氏の分流で、現在のえびの市、小林市から吉松、栗野など北薩を勢力圏としていた豪族でした。
 戦国末期 北原氏は日向の伊東氏と伊東氏に与しない一派とに分かれ内紛状態になります。球磨の相良氏を頼って落ち延びた北原氏の子孫に北原兼親がいますが、彼は北原氏の宗家家督を狙い、島津氏に援助を求めます。島津貴久は北原兼親の援助に応え、援軍を送り、また球磨の相良氏にも支援を頼み、兼親を先祖代々の居城飯野城に入らせます。こうして真幸院一体は島津氏と協力体制に入った北原兼親のもとで小康状態になりますが、以前、伊東側に通じる横川城主の北原伊勢介父子が、反島津氏勢力として頑張っていました。
 そこで島津貴久はこの北薩における反島津氏の一点に残った横川城攻撃にでます。1562年5月のことです。北原伊勢介父子は頑強に抵抗しますが、ついに大手門から島津氏が突入し、城は陥落、北原伊勢介は自刃します。こうして反島津氏の拠点だった横川城は島津氏の支配下に入ります。
 城跡本丸跡からは、写真のように霧島山系が間近に見えます。おそらく当時では、北原氏の本拠の飯野城あたりまで遠望できたと思います。写真に見える山は栗野岳でその裾野には栗野城があります。



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