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高山城跡    鹿児島県肝属町



 高山城は肝付氏の歴代居城跡です。肝付氏は、南大隅一帯から南日向にかけて勢力を有していた豪族で、鹿児島では島津氏よりも古くから定着していた一族です。
 約500年ほどの肝付氏の歴史も、島津氏の三州(薩摩、大隅、日向のこと)統一事業の前についに終止符を打ちます。
 肝付氏の歴史は そのまま大隅の歴史であり、肝付氏の滅亡は、そのまま大隅の薩摩従属の歴史であるかのようです。
 現在の鹿児島は、薩摩と大隅の二つの伝統的地域から成立していますが、大隅は薩摩からすれば《陸の孤島》と通称されているほどに、後進的地域のようにしばしば言われること多く、薩摩と大隅とは一体感はあまりないと言えます。江戸時代、薩摩(西目と云います)から多量の大隅への移住が行われ、大隅開発と懐柔策とが採られます。このようにして肝付氏亡き後の大隅は、支配者としての薩摩の島津氏の前に従属という形で、位置づけられていきます。数百年たった今日でも、長い伝統は消えることはないようです。高山町が市町村合併しても、《肝付》の名を捨てなかったことは、賢明と言えます。
 城は、平地でありながらも、巧みに配置された郭によって、難攻不落の城として肝付氏とともに、大隅の本拠として長く耐えてきました。約50ヘクタールにも及ぶ広大な山城であったようです。それぞれの郭がよく残されていて、国指定の史跡に指定されています。城は国見山系の裾野に位置し、国見山系を辿ると、内之浦へ至り、太平洋へと出ます。
 この山城は、こういうロケーションから推測して、太平洋という海へつながるベースキャンプとしての役割が見えてきます。肝付氏と高山城とは、山の中の豪族ではなく、太平洋からその先に展開していた南西諸島と沖縄、大陸との交易拠点として、考えていく必要があると思います。この高山城と港町として知られている志布志の志布志城に肝付氏の拠点があったことは、豪族肝付氏の性格を物語るものと言えそうです。















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