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洗合城跡   松江市



洗合城は、1562年に毛利元就が出雲の尼子氏攻略のための拠点として築いた城である。
 毛利元就は、尼子氏の月山富田城を攻撃するにあたって、まずは支城攻略と補給路を絶つために、宍道湖畔に位置する小高い丘に陣を構えた。
 ここに本陣を構えて、まずは尼子十旗の筆頭と言われた白鹿城(松江市)を攻撃し、落城させる。
 毛利元就は、この陣中で嫡男隆元の悲報を聞くことになる。同時に、13歳で元就の意向で元服した隆元の嫡男輝元が初陣のため、はせ参じたのもこの城であった。幸鶴丸と名乗っていた輝元は、当時の足利将軍足利義輝から1字もらい輝元と名乗ることになる。吉川元春の嫡男元長もともに初陣のためはせ参じている。元長16歳、輝元13歳である。
 現在、城跡の一部は松江松平氏の菩提寺天倫寺境内となっていたり、住宅地となっていたり、当時の面影はほとんど感じられない。 目の前に開ける宍道湖だけは今も変わらず、美しい姿を残している。




【アクセス】
洗合城跡は、松江市の観光温泉街が立ち並ぶスポットのすぐ北側に位置しています。宍道湖畔にあります。城跡はもとはもっと広大な敷地だったようですが、現在では、天倫寺境内にしかその痕跡がないようです。



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