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福光(不言)城   島根県太田市(旧温泉津町)



福光城は、別名不言城ともいい、石見吉川氏の後期居城として三代にわたって、東部石見の毛利方の拠点であった城である。
 現在の島根県温泉津町に所在する。
石見吉川氏は、吉川氏の一族で、現在の島根県弥栄村長安本郷を発祥とする一族で、本家吉川氏八代吉川経見は、実はこの石見吉川氏の出身である。このあたりの経緯については、石見吉川氏の居城あたりで詳細に報告する予定である。
 石見吉川氏は、この福光に拠点を移す前までは、同じ温泉津町のすこし南部の山間の殿村というあたりに拠点を構えていたが、1559年石見銀山を攻略した毛利元就から改めてこの福光の地を宛がわれた事により、福光城を築城し拠点を構えることになったと伝えられている。
 福光城のある温泉津は、石見銀山を背後に控え、その銀の商いで賑っていた商港であったことから、経済的に重要な位置を占めていた。
 石見吉川氏がそれまでの拠点を山間部から温泉津の海岸部へ移動させたのは、このような背景があったのかもしれない。
 この城を築いた吉川経安は、石見地方に安定した勢力を築いた1574年に、息子の経家に家督を譲っている。この経家こそ、後世歴史にその名を刻むことになる戦国武将『吉川経家』である。
  近くには、吉川経家の墓もある。当然吉川経家は、鳥取城開城を条件に切腹しているわけだから、この墓は供養塔ということになろうか。
 経家の墓の隣には、経家に殉死したと思われる家臣の墓もある。車で通り過ぎると、ただの山だが、経家の墓の前から古城跡を眺めると、経家の声が聞こえてきそうな気がした。







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