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家古屋城跡   島根県旭町



家古屋城は、この地方の領主福屋氏の前期の居城跡である。
福屋氏は、戦国時代後期には、江津市の有福温泉にある本明城を本城としていたと言われているが、1562年支城であった松山城で毛利元就に反旗を翻したため、城を落とされる。時の城主福屋隆兼は、城を脱出して大和の松永久秀を頼り、後には徳島の蜂須賀氏の客分に迎えられたとも伝えられている。
 福屋隆兼は、石見の大豪族益田氏の一族で、石見の東部を勢力圏としていた。現在の島根県浜田市、江津市近辺がその勢力範囲であったので、石見吉川氏、小笠原氏などと接触していたことになる。
 福屋隆兼が、毛利元就にいったん従いながら、反旗を翻すに至った経緯も、小笠原氏との領地問題がこじれてのことと言われている。
 家古屋城近くに、御神本という地名が残っているが、これは、益田氏が国司として京から下ってきたときに最初に館を構えていたと推測されているところであろう。
 益田氏は、藤原鎌足の子孫で、平安時代に石見の国司として下ってきたときには、御神本と名乗っていた。それから、現在の益田市へ本拠を移動させたのである。とすれば、この旭町は、きわめて古い歴史を背負っている町ということになろう。
 有名な山城ではないが、写真のように手入れがしてあり、長い歴史の足跡を大切にしている地元関係者には敬意を表したい。ともすれば、史跡に指定されても、それを保存していくのは、地元の人々の考え方次第であることは史跡保存関係者の間でもよく言われているところである。
 城跡から、町並みと遠く日本海を眺めながら、これからもこの史跡を大切にしてほしいとつくづくと思った。







アクセス
浜田自動車道の旭インターで降りて、旭町役場まで行くと、目の前に屹立しています。

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