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温湯城跡    島根県川本町



温湯城は、石見東部の国人領主小笠原氏の居城跡である。
現在の島根県川本町に所在する。
 小笠原氏のルーツなどについては、曖昧であるが、甲斐源氏の一族小笠原氏の支族が、北条政権の時代に守護代としてこの地に下向してきて、石見小笠原氏という独立家系を成してきたと言われている。
  平安時代には、石見国衙領として国司の益田氏が開発し、領有していた地域であったと言う。
 小笠原氏の勢力が最大になったのは、長隆、長徳、長雄の3代の時代で15世紀半ば頃である。
 その所領の中には、一時尼子氏とその所有をめぐって争った石見銀山もあり、毛利氏が石見制圧のためには、ぜひとも攻略しなければならなかった最大勢力でもあったのである。
 毛利元就は、安芸国を手中にし、続いて周防長門制圧も完了させると、宿敵尼子氏との戦いの前に、石見攻略を開始する。その石見攻略の最初の標的にされたのが、この小笠原氏の居城する温湯城であった。小笠原氏を攻略すれば、石見銀山もおのずと近づいてくるからである。
 毛利元就がこの城を囲むのが1559年5月と言われている。小笠原長雄は、尼子氏の救援を頼みにしていたようであるが、尼子氏は時期的な梅雨の雨で水かさが増した江川を渡ることができず引き揚げ、救援もできずに、包囲から約3ヶ月ほどで落城したと言う。
  小早川隆景は、小笠原長雄の降伏を許さず、族滅すべきと進言したが、元就は却下し小笠原長雄を領内の甘南備寺に隠居させ、領地は安堵したと言う。
 長雄の跡は、嫡男長旌が受け継いで、新たな居城として丸山城を築き、小笠原氏の勢力回復に力を注いでいくことになる。
 小笠原氏への元就の処遇をめぐって、小笠原氏と領地を接していて長年敵対関係にあった福屋氏が、毛利氏に対して反旗をひるがえすことになるのは、温湯城落城から2年後のことである。



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