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山吹城跡  島根県太田市



 山吹城はその城下町である大森銀山の発達を抜きにはありえない。大森銀山の管理が主要目的であったと思われるからだ。

  大森銀山の開発は伝承では15世紀半ばに博多の神谷寿禎が石見の銅鉱を買い付けに来た際に、たまたまた山に光るものを見て、温泉津に上陸して銀があることを確認したことから始まると言い伝えられているようだが、判明している限りでは16世紀初頭からのようである。

  それ以来、この銀山の富を巡って山口の大内氏と出雲の尼子氏との間に何回も争奪戦が繰り返されることになる。 大内氏が滅んだ後は、安芸の毛利元就か大内氏の後継として出雲の尼子氏と争奪戦を繰り返していく。

  毛利氏が関が原で敗戦して、徳川時代になると、幕府直轄領となり大久保長安が代官として支配していくことになる。


















 
 




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