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高嶺城跡   山口市



高嶺城は、大内義長が1556年毛利元就の攻撃に備えて築城した城である。
 大内義長は、大内義隆を追い出し、実権を握った陶晴賢によって、豊後の戦国大名大友氏から呼び寄せられ大内家の当主に据えられた傀儡当主である。 豊後の戦国大名大友宗麟の異母弟にあたる。母方が大内家の出身であった因縁で、大内家を継ぐことになるが、実権は陶晴賢にあった。
 陶晴賢を厳島合戦に破った毛利元就は、すぐさま防長攻略に取りかかかる。1557年毛利元就が山口に侵攻してくると、義長は、この城に一時は篭城するが、勝機なしと見て下関の勝山城に退却する。そして元就の懐柔作線で勝山城から出て長福寺に入ったが、そこで無念の最後を遂げる。  城跡には、石垣などの遺構が現在でも確認できる。また山麓には、大内文化を象徴する瑠璃光寺がある。



【アクセス】 
高嶺城は、山口観光でなくてはならない瑠璃光寺の背後の山です。山頂付近まで自動車道がありますが、非常に狭いので離合は困難ですので注意が必要です。国道9号線から防府へ分かれる県道との交差点の近くに、木戸孝允を奉る木戸神社があります。その木戸神社のすぐ傍らに小さい道路がありますので、その道路が高嶺城跡がある鴻の峰山への自動車道になります。 城跡からは山口市街が一望できます。



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