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若山城跡   周南市(新南陽市)



若山城は、大内氏の譜代家臣で守護代でもあった陶氏歴代の居城跡である。山口県新南陽市に所在する。
 陶氏は、もともと大内氏から分かれた一族で、歴代大内氏の守護代として周防に地盤を置いていた。
 実質的に大内氏最後の当主になる大内義隆のとき、陶晴賢(すえはるかた)との確執が表面化し、陶晴賢は1551年主君大内義隆を山口に襲い、最後は長門に追い詰めて自刃させる。このようにして大内家の実権を握った陶晴賢は豊後の大友宗麟の弟を大内家の当主に迎える。
 1555年にはそれまで陶晴賢に服属していた毛利元就がついに反旗を翻し『厳島合戦』に及ぶことになる。厳島合戦に敗退した陶晴賢は、宮島で切腹する。その後防長攻略に転じた毛利元就は、次々に大内方の城を攻略していく。
 若山城も1557年3月に毛利軍に包囲され落城したが、陶晴賢の嫡子陶長房は菩提寺の龍文寺にこもったが一族郎党自刃し陶氏は滅ぶ。





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【アクセス】
国道2号線を山口方面に向かって行けば、新南陽市と徳山市との境付近で国道2号線と山陽自動車道が交差します。その交差するすこし手前に若山城跡がある富田若山への入り口があります。山口市方面に向かって右手にありますので、登山道へ侵入するには、山口方向から広島方向へ進行しながら、左折しなければなりません。このあたりの国道は中央分離帯がありますので、信号のないところでは左折右折できませんので注意が必要です。山頂まで自動車で行けますし、現在二の丸跡が公園として整備されています。公園から見える周防灘は瀬戸内の雰囲気を味わえる絶景です。桜の季節がお勧めです。


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