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漂着伝承のこと

  鹿児島の霧島市隼人町と隣接する姶良市の加治木町には、昔から言い伝えられている漂着伝承が残されています。

  まず、隼人町日当山の木の房交差点の近くにある蛭子神社そのものが、ヒルコという神が流されてきたので、この地に神社があることになっています。その蛭子神社の道路を挟んで《神代の楠》と地元で伝えられてきた楠の株跡がのこされていて、現在はその周囲にも楠の大木が生い茂っています。 この地点は現在では道路より若干上の地になりますが、実は現在の河川は大規模に江戸時代に変更されていて、昔は現在のこの楠があるところの下のところに河川が流れていたということです。ですから 古代にこの地点に何かが流れ着いたというのは、ありということなのです。 木の房交差点の道路が昔の河川の地点で、現在の蛭子神社のあるところが、河川より上の地点だったということです。


写真の右手に蛭子神社、左手の下が 昔の河川が流れていたところです。現在は道路となつています。写真前方の楠があるところが、漂着伝承のあるところです。

写真でもわかるように、流れ着いた楠の木があるところは、道路より下がっていますが、昔はそこを河川が流れていたからです。


  もうひとつ隼人町に楠が流れ着いたと伝承されているところがあります。写真下です。現在では《こがの杜》と呼ばれて史跡整備されていますが、おもしろいことに、史跡の由来に関する教育委員会の説明が若干整備の前と後でことなることです。
  いずれにしろ、この地で船待ちしていたと紹介されている通り、この地点は昔河川があったところで、現在の河川の流れとは大きく異なり 事情を知らない人には理解できないと思います。この前を流れる河川がヒルコ神社の下を流れていたわけです。昔の河川はダムや用水路などがなかったので、水量が多くかなり上流の方まで遡上できたと思います。現在の河川のかなり上流の方にも《津曲》という地名と集落があるのがそれを物語っていると思います。また喫水線が浅かった船の構造からしてもかなり上流まで遡上てきたと思われます。
  結論から申し上げると、この二つの伝承は、何を物がっているかと言えば、楠が意味していることは、《船》です。古来楠には害虫を防ぐ成分が含まれていて、船材として使用されていたということ。 楠の伝承とは 南方からの船の漂着伝承を意味していると考えられます。 それは、隣接する姶良市加治木町の名前の由来が、船の舵の木が流れ着いたことにあるという伝承にも表現されいると思います。 現在国立公園に指定されている錦江湾の最深部になつている隼人町と加治木町あたりに、遠く南方からの船が古代に漂着したという歴史的事実を反映していると思います。 

  ところで、その南方とはどこか。それを示唆しているのが ヒルコ神社の近くの《木の房》という地名だと思います。


写真下は現在の整備前の案内板です。

写真下は整備の現在の案内版の説明です。

写真下は加治木町に伝わる漂着伝承地。この地に船の舵が流れ着いたので《加治木》という地名になったと書いてあります。船は写真上の隼人の蛭子神社の近くに流れ着いたということのようです。


 
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