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宍戸元家夫妻 広島県安芸高田市(旧甲田町)



写真は宍戸氏初代の宍戸元家夫妻の墓です。旧甲田町の国道54号線沿いの田の中にあります。
宍戸氏のルーツは八田知家に始まります。八田知家は源義朝の十男として誕生します。八田知家は鎌倉幕府では評定衆として重きをなします。
 
知家の四男家政が常陸の国宍戸に本拠を構え、宍戸氏が誕生します。宍戸氏が安芸の甲立に移動してくるのは、宍戸朝家の時とされています。鎌倉幕府が滅び、足利尊氏による新しい武家政権の誕生する時です。毛利氏が安芸吉田に移動してくるのと時期は同じ頃です。
  地元の旧甲立町の郷土資料館などにある宍戸氏系図をみますと、前期宍戸氏と後期宍戸氏とに分かれていますが、これは安芸に移住してきた安芸宍戸氏の始祖となった朝家の系統が切れていることを意味しています。これは、途中で宍戸氏が内部分裂し、常陸国に残っていた宍戸氏が安芸国の宍戸氏を乗っ取る形で後期宍戸氏が始まっているからです。
 宍戸氏の系図については、不明な点が多く、(後期)宍戸氏の菩提寺であった理窓院の住職から聞いた話でも、またまだ不明な点が多々あることを示唆しておられました。
 この写真は 宍戸元家夫妻の墓ですが、安芸宍戸氏六代目の城主ということになっています。これ以前の前期宍戸氏の墓がまったく甲立では確認できないのは、この元家こそ、後期宍戸氏の始祖になるからです。前期宍戸氏の墓もどこからにあったはずですが、内部抗争による家系乗っ取りですので、すべて隠滅したと思われます。元家は家督を長男の元源に譲り、五龍城から三次方面に数キロほどの深瀬の地に岩屋城を築城し、そこに次男隆兼と入ります。これ以降 宍戸氏の分流として深瀬氏が誕生します。元家の墓は、その隠居地深瀬と五龍城との中間地点にあります。

関連情報
 武将と古刹−理窓院
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