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岩剣城跡  鹿児島県姶良市


 1550年島津貴久は、本拠地を伊集院から鹿児島の内城に移し、大隅平定への戦いを本格化していきす。
 現在の鹿児島市から姶良、加治木、隼人、国分方面の平定が当時の島津氏の課題でした。
 この大隅平定の緒戦が、現在の姶良町にあった岩剣城でした。この地域は、当時蒲生氏の支配地域で、蒲生氏の背後に渋谷氏氏、さらに入来院の渋谷一族が居ました。
 島津貴久は、父島津忠良がほぼ薩摩を平定したあとで、大隅から日向へと初期の島津氏の守護領域、三州統一へと動き出していました。
 1554年、島津氏は、蒲生氏の拠る岩剣城の攻撃を開始します。
 この戦いは、島津氏の全力を投入し、総大将としての貴久の他、嫡男の義久、次男の義弘、貴久の弟の忠将、尚久ら島津氏一族総動員でかかります。
 島津義久と義弘にとってはこの戦いが初陣になります。
 約1月ほどでこの城を攻略しますが、この戦いで、島津氏は始めて種子島鉄砲を本格的に使用したと伝えられ、日本で始めて合戦に種子島鉄砲が本格的に使用されたとされている合戦になります。種子島銃の合戦への使用は、かなり早く1543年頃と見られています。
この城を落とすと、蒲生氏の本拠蒲生城攻撃にかかります。











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