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菱刈氏  鹿児島県菱刈町

写真は 菱刈町本城瓜が峰に残されている歴代菱刈氏の墓です。
 菱刈氏の本拠太良城はこの墓から西方向1キロほどのところにあります。
 菱刈氏のルーツと薩摩への定着の経緯については、別項、古城紀行に記載してありますので、そちらの方をご覧ください。
 菱刈氏の勢力圏は、現在の鹿児島県菱刈町、大口市一帯です。いわゆる北薩の穀倉地帯です。菱刈氏の北部には、現在の宮崎県えびの市一円に勢力を保っていた北原氏―この北原氏は肝付氏の分流です―さらにその北部、国境を越えると球磨の相良氏が播居していました。菱刈氏は球磨の相良氏と婚姻関係を結び、強い同盟関係を維持していました。
 しかし薩摩半島の統一を果たし、大隅地方の姶良、蒲生地方を平定してきた島津氏は、その矛先を北薩の菱刈氏へと向けてきます。
 菱刈隆秋は、甥の鶴千代(後の16代重広)を擁して島津氏にあくまで抵抗するもついに大口城を包囲され陥落、菱刈隆秋は相良氏を頼り落ち延び、ここに菱刈氏は370年間の北薩地方の豪族としての地位を離れることになります。16代重広は、薩摩国内の内紛《庄内の乱》で戦死し、菱刈氏は名実ともに終焉します。
 菱刈氏の墓の背景には菱刈地方の田園風景の広がりが見えます。そこでは普通の人々の牧歌的な生活が営まれていますが、数百年前ここで島津氏と菱刈氏との激闘が行われたことなど誰も知る由もないほどの遠い歴史の流れを、この墓を見ると感じます。

関連情報
古城紀行―太良城
薩摩紀行
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