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小早川興景  広島県竹原市


写真は竹原小早川家最後の当主小早川興景夫妻の墓です。写真向かって左手が興景の墓です。竹原最後の当主というのは正確ではないでしょうが、隆景は毛利家の人間なので、興景で実質的な竹原小早川家最後の当主と言ってもいいと思います・
 元就の三男隆景が竹原小早川家に養子入りするのは、1544年です。きっかけは、当主興景が1541年の安芸武田氏の依る銀山城攻撃の際、戦死したことに始まります。興景の正室が毛利元就の兄興元の娘だったことで、隆景の養子縁組が調います。
 隆景が本家の沼田小早川氏をも相続するのは1550年のことで、このときは、隆景の家督相続に反対する小早川氏の重臣たちを、元就がことごとく粛正した挙げ句の相続−実質的には《乗っ取り》に近い状態だったことを考えますと、どうも1541年のタイミングのよい興景の戦死も出来過ぎの感はあります。この時の銀山城攻撃は、なかなか城が落ちないので、元就の提案で、当時としては卑怯なこととして積極的には採用されなかった夜襲で、やっと銀山城を落とします。このあたりの発想は、後年の《厳島合戦》への萌芽が感じられます。スッパ、ラッパと呼ばれるいわゆる戦場の傭兵などを盛んに使用しての戦い方です。このとき、興景を消すチャンスは十分あったと思います。しかし真相は闇の中です。
 

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