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小早川隆景  広島県本郷町

写真は 小早川隆景の墓です。小早川隆景について、毛利元就の三男として誕生し、元就の政略により、竹原小早川家に養子に入り、ついで本家沼田小早川家をも継いで、小早川家を一本化します。
 兄の吉川元春が吉川家を継いで、山陰地方ににらみをきかしたのに対して、隆景の方は、瀬戸内海地方の豪族を束ねて、山陽道方面ににらみをきかせていきます。
 秀吉政権に毛利氏が組み込まれたあとは、秀吉の信任を受けて、毛利氏から切り離されて独立した大名として扱われて、豊臣政権の五大老にも抜擢されます。しかし隆景は、父元就の遺言とも言える《毛利本家をあくまでたてる》という路線を頑なに守り、小早川家より、毛利本家を守ることに生涯をかけます。
 その彼の意志が如実に発揮されたのは、木ノ下秀秋を小早川隆景の養子として迎え、小早川家を継がせたことです。
 ことの発端は、そもそも40過ぎになろうかというのに、毛利輝元に息子が誕生しておらず、そこに秀吉が輝元の養子にと秀秋を示唆した情報をいち早くキャッチして、隆景の方から先手を打ちます。すなわち、輝元にはすでに跡取りがいるかのように工作させ、秀秋については、隆景の養子としてもらい受け小早川家を犠牲にすることで、毛利本家を他家の血筋から守ろうという作戦です。
 毛利輝元の養子として候補が挙がったのは、元就の四男の穂田元清の息子の秀元です。幼少の頃より賢明な子として注目されていたようです。そして小早川隆景にも子がなかったので、元就の九男の秀包(隆景からすれば弟、隆景とは34歳の年違い、秀包は 元就71歳の時の子)を隆景50歳の時に養子にしますが、隆景が秀秋を養子に迎えると、秀包には別家を立たせます。
  こうして小早川家は、毛利氏とは全く関係のない他家の血が入ります。この小早川秀秋の代で、小早川氏が終わりになることはご存じの通りです。
 

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