Samurai World>サムライたちの墓>
因島村上一族  広島県因島市 


写真は因島村上氏の墓です。 瀬戸内海の因島金蓮寺にあります。 村上氏について説明しますと、村上氏は前期と後期とに血筋が分かれてます。
 前期村上氏の中で、村上氏を瀬戸内海地域の豪族として押し上げて武将は、鎌倉時代末期から建武の親政の時代の激動の中で活躍した村上義弘という武将です。それまでは伊予の河野氏の配下に甘んじて活動していた村上氏が、瀬戸内海の芸予諸島に勢力をもち、河野氏から独立して活動する基盤を持ち始めます。
 しかしこの村上義弘には子がなかったため、信濃にあった北畠師清−北畠顕家の子と伝えられる−が瀬戸内海から雑賀、紀伊地方の海賊を取り込んで芸予諸島に進出してきます。ここで新旧の村上氏の闘争があつたようですが、結果としては北畠師清が勝つます。ところが北畠師清は村上義弘を慕っていたようで、自身村上氏を名乗るようになります。これ以降を後期村上氏と言います。
 北畠師清の子、義顕は、三人の子にそれぞれの能島、因島、来島を与えて、分立させます。これが三島村上水軍の始まりになります。この三島水軍の惣領的立場が能島村上氏になります。
 現在 因島の住民の中には村上氏を名乗る家が多く、毎年8月には水軍祭りが行われています。

関連情報
古城紀行−因島村上水軍城
Archives―因島村上水軍祭り
サムライたちの墓―村上武吉の墓

inserted by FC2 system